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とってもなぜだか馬鹿だから、
電気を消した部屋でいつも突然にゆめをみてしまう。
ただ洗濯機のまわる音で私はいいのだけど、夜になるとビルが光るから、なんで光に音がないんだろうって思う。あのビルのあの温度がぱちぱち鳴ったら。
私や、もしかして犬や猫が、とても馬鹿だから、
喋り過ぎた帰り道にはなんだかいつも悔やんじゃって噛んじゃって、痛んじゃって、どうにも悪いゆめをみてしまう。
とても喉が痛くなってしまって、だからとても無くなりたくなってしまうんだよ。
3階のベランダから遠くに見る、誰かのシャツの白いのが、左から右にそっと消えて行くのを見ていた、ずっと、もうずっと。なんだかとてもきれいだったから私はないていたのです。
なにもなかった昼に、なにもない夜に、どうしてこんなにもっともっとなにもなくなってしまえと思って、それで、物がとってもたくさんあるから、あたたかく、嫌いで、どこかに行ってしまう白いシャツが、すきだなあ。ばかだなあ。
開けっ放しのカーテンの向こうを車が通り過ぎて、真夜中のベットに転がって天井をなでるそのライトを見ていた。
どこかにだれかが住んでいる。どこかにだれかが住んでいて、私はこの小さなベットの上で生まれていた。

25時半玄関で女の人が、もうだめかもしれないと言った。
だれも
うなずいてほしくないんだろう。
借りたままだったペンを返す瞬間に、「そんなこともあったね」と言う横顔を、なんてこともなくまだ覚えている。
低い声で、なにか言う横断歩道がこわくて、声をだした後の肺がすかすかといつまでもすかすかと
私はなにかいつもとても怖いと思う。玄関の開く音や帰り際の目線がとても怖いと思う。だれかと笑いあったあと2時間も十年もずっと、私や、だれかが続く。
なにか、少し、わかりにくく、人はいなくなるし、
わかりにくいように夜が昼が、ぐーぱーぐーぱーと、つづいて、
横断歩道ですれ違った人のゆくさきを知らないことを、なんでだれも叱ってくれないんだろう。私はもうずっとだれのゆくさきも知らないでいるのに、だれも怒ったりはしない。
肺がいつまでも震えて痛くてねむりたいねむりたい。
ありがとうと言いたかった、理由がないので、だれにも言えていない、理由なんて、もう、あのね、できやしないって思う。いつでもいいから今や、次の瞬間や、八百万秒先の次の呼吸で、ありがとうと言うんだよ。そういうことを思うことで眠れるならそんなふうにでも眠れればいい。ありがとうなんて言わなくていい。ねむたいだけなんだよ。
もうだれとなにを話せばいいのか

きのうに話したことや、その仕草をもういちど繰り返したら、私たちは死んでしまうんじゃないかと、ときどき思う。とうてい二度とくりかえせないような、ばかで泣きたくなるほど、ほとんど切ない冗談に笑っているんじゃないかとか、ちょっと不安になるよね。百年と戦争のあとに私たちはなにに笑うのだろうなあ。私はチーズを削っているのかなあ。削れていくのかなあ。
どうしてだか、なにかを話したわけでもないのに、だれかを好きになったわけでもないのに、だれか人を助けたいわけでもないのに、静かな家や3階下のコンクリートを歩く、シャツが、憎くも恋しくもないけど
どこにいくんだろう
その背中が街路灯に光ってとてもうつくしいと、知っているだろうか。
肺が痛くなるのでいつもとても後悔している

砂がぱらぱらと、どこかの河のなにかの砂がぱらぱらと世界中にぱらぱらと降って、降り積もる。
私とあなたのささいな応酬をさらさらと洗って、私の肩やあなたの首筋や、歩道や、車の屋根に、ぽつぽつと砂が降る。
ざらざらとそれが体中を流れるし、足下を鳴らすから、ときどき目をこすりながら息に似たやりかたで砂を呑んでいる。
いつまでもここにいたいのにと言って、埋まってしまおうと、顎の下まで潜って、むせる。むせてばっかりいる。
なにがどこにいるかしらと
あの信号は深夜1時に
まだだれかのために光っているかしらと
私や、もしかしたらだれかが、とても馬鹿だから、ぜんぶ昼間のせいにして、ひとりでに笑えることなんてなにもないだとか、怖がりもせずに言い合ったりする。ばか。
遠くに人影を見つけて、嬉しくふがいなく
いつから、いつまで、この砂や、灯りの街で、目をつむったりまた、笑ったりして、抱き締めずに抱き締められずに、あなたやだれかを、いつもはじめてすきだよ
明日でなく今日に、あなたやだれかに会いたいと思う。
23時59分の不安が、町中の輪郭をひからせるから、明日でなく今日に、あなたに会いたいといつも思う。あしたもおもうとおもうよ。
おやすみ、たぶんだけど、ひとはねむたいと、瞼が薄く藍色にひかるよ。
おやすみ、だれかの燐光がまだ、さようなら、見えるよ。
ばいばいあしたはだれにも会わない。
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「きみのこと掴む気なんてぜんぜんないよ」。
とても遠くにランプがついたのを、「ああ馬鹿だなあんなところに」と思って見ていて、だらだらぶらさげた右手の懐中電灯が電池だけによって光るのを見ていて、投げられた卵が床に落ちて割れるのを見ていた。
掴まえに行かなければ掴まえられないものなんていらないって、言って、だって飽和しているからって、言って、見ている。ねえここだよ。
腐った卵を投げ合う儀式で、人を狙って撃つことが大事なのか、いったい。座り込んでしまった人間の真正面にぐりぐり光を当ててほら世界は眩しいだろうなんて言いたくなくて、ど真ん中に当ててやるから立ち上がれなんて言えなかった。やっぱり腐った卵をろくに見もせずに、投げて、投げ返されるのを待った、の!
とても寂しくない。
もし目の前の人間がいま、悲しくも寂しくもないのなら、私はかなしいしさみしいのだと思った。
ときどき幸運なことがあって、私はハイになるの。それは他愛もない嘘で、卵がほら割れなかったよ、とかそういうの。ときどきの幸運を繋いでる糸を、ぐるぐる手に巻きつけたりして遊んでみるんだよ。引っ張ってもなにもないねって、切っても痛くないねって、糸できしきし遊ぶんだよ。床が割れた卵でいっぱい。ぐちゃぐちゃ。だめになった愛。だめになった愛は愛になれなかったんだから愛じゃない。それにぬらぬら滑るんだよ、なんて迷惑なんだろう。ほらもう地平線のむこうっかわまでぐちゃぐちゃだよ!大きな鳥さんに私たちはいつも恨まれているんだよ!投げたよね!投げたよね。うれしくてすかすかとうれしい。もう誰も覚えていない殻とか、踏んでしまったら痛い。そんなもので痛くなっても、たぶん、しょうがないのに。
あそこの、遠くの方で、よくわからない方向にチカチカと信号を打つ、あそこの、あれが!私の夕食が決まった瞬間にぴかって光ったんだよ、昨日、ほんと、だから、だいすきなんだ。カカシと十年語り合った朝にカカシが折れていたら私はとっても悲しくなっちゃうの。悲しくなることが増えればいいよ、たくさんたくさんになればいいよ、私は毎日なにかに悲しんで、私は十年でも遠くの光を愛したりして、いつかそれが止んでしまったらそれで悲しくなるよ。かなしくなりたいね!私はおたんこなす。
「そんなの馬鹿みたいなことだ」けれど、真剣なことがほかにいくらでもある気がするけど、だけど本当は、真剣なことなんてそういうくだらないことがせいぜいかもしれなくて、私はいまがとっても真面目なのかもしれない、よ、このくらい、だよ。非交流は風になれ風になれ風になってごうごうと吹こう。私ノーコンだけど別にそこに投げたのはノーコンだからじゃないんだよ。だれも走らない野球って、とっても、勝負がつきそうにないね。999回裏のピッチャーが笑った。
チカチカチカチカうるさく光るのでどこもとても眩しくってうるさくって、頭痛くなって、どうでもいい石拾って投げて遊んだら誰かに当たりまして、喜んでいたら、殴られましたことよ。ごめんね。痛くしないための懐中電灯だったなんて。そんなばかな!聞いたことなかったよ。ごめんね。対岸の岬の緑の光をさがす。光に意味がなくなればいいよね。光に意味がなくなればいいよね。夢をくれるから、腐った卵だっていいにちがいないけど、だけど、いちおう、言うの、だけど、光に意味がなくなればいいよね。
ギャツビーが死んだらしいんだよ。
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 「アポロ11号が月に行ったなんて嘘で、だって旗が揺れてるじゃん米国の策略だよきっとそうだよ」とかいうのがちょっと前に流行っていた気がする。テレビの前にぐでぐで座って私は、どちらでもいいけどもなあと思っていた。月に行ったロケットはきっとあるのだし、初めて月面着陸したロケットはなんなのか、アポロ11号なのかどうなのか、私は知らないけれど、私は初めて月面着陸したロケットのことをただアポロ11号という名前て呼ぶのだもの。だって完ぺきな名前じゃないか。アポロ11号、だって。私は月に行ったロケットをアポロ11号と呼ぶからアポロ11号は初めて月に行ったロケットであるよ。なぜならアポロ11号も他のなにかのロケットも他人だからであるよ。
 だけど悲しいことにそれからもロケットが月に向かって撃たれ続けているので、もう次に月に行ったロケットもその次に月に行ったロケットも私にとってアポロ11号であるよ。だれがロケットに名前をつけているかとか、誰が乗っていたかとか、どこの国のものだとか、どうだってよくて、世界中のロケットはぜんぶアポロ11号で世界中の人工衛星はぜんぶスプートニクなのです。次のロケットもその次のロケットも私にとって同じで、しかしその中にはきっと違う人間が乗っており、しかし私には同じで、だから、そういう。
 私は女子高生であって、私の隣りの席の子もその隣りの席の子も女子高生であり、私と隣りの子のローファの色の違いなどはほんとうになにもかもに関係が無く、私はいつでもだれかにとって電車に乗ってる女の子であり月に行ったところでアポロで、だから、だれかにアポロ11号と呼ばれる僕らは、僕らは。
 こんにちは。月面着陸したのは私です。誰かが嘘の主張をたくさんしても私を信じてくれるかな。信じてくれるかなあなた。って訴えたときに、「そりゃそうだろうね君はアポロだもの」と言われたらぜつぼうしちゃう!だれかにとって私はいつでも電車に乗ってるなんでもない女の子だけど、アポロは、アポロは、「また同じことになる構造」。
 月に行ってたって行ってなくたってあなたはいいですよって誰かを貶めて、月に行っていないあのロケットに意義がなくてもそれでも別に私にはどうだっていいよって誰かを貶めて、月に行かなかったアポロとか人を殺さない殺人者とか鳴かない犬とかがらくた集めてしあわせになりたいようなゆめ。ごめんね、ごめんね、だけど私が侮辱したらそれは私だけのロケットになる気がしてとても、とてもいとしい、ぶつぶつ。
 だけどねあのね、どんな風な意味だとしてもどんな風に発音しても私は呼ばれるのが好きで大好きで、だからやっぱり名前が欲しくって私は呼んで欲しいのでいつでもやっぱり名前が必要で、月とかいいよアポロでもヤコブレフでもタイタニックでもいいし虫でもいいしなんでもいいけど、今殴ろうとすれば殴れる距離に他人がいるのにだれもだれかを殴ろうとしない事件をアポロ11号と呼んで遊んでいる、あそんでいる、ぽろぽろあぽろ。宇宙にいこう。
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 小学生のとき一番仲の良かった女の子はクリスチャンだった。彼女にくっついて日曜によく教会に顔を出していた。私はあまり神様に興味がなかったから、いつも主の祈りのあとに抜け出して教会を探険していた。その仲の良かった女の子は小学三年生のときに転校してしまって、それ以来会っていない。読書が好きな子だった。もう、よく覚えていない。
 教会の前には、コンクリートの壁に囲まれた小さな庭があった。琵琶のなる木があった。空が狭かった。神父様が、「イエス様は世界にあなたひとりしかいなくても、あなたひとりのために磔刑になったでしょう」と言ったのだけ、今でもよく覚えている。そのとき初めて、「いえす様、あなた」と思った。それは神様に対しての感情じゃなかったと思う。感謝とか、信仰では、なかったと思う。その日の夜、ベッドの上で丸まって想像していた。私ひとりが立つ地平面で、私ひとりの罪のため、私ひとりのいのちのために自ら(だって私のほかに誰もいないから)十字架にのぼるイエス様を想像していた。きっとその目が私を見るだろう。私しかいないから。そして私はキリストを見る。私は、そんな想像をして丸くなりながら、そのとき、泣こうと思った。泣けなかったけれど。泣こうと思った。(今ならあんな夢を見た朝は泣けるかもしれない。もしかして。)
 世界は私一人でないので、私はあの子が転校してから教会に行っていない。だけどあの教会はまだあるみたいだ。道路を挟んですぐのところにパチンコ屋が建ったと聞いた。うるさくなっただろうか、と思う。あの教会の鐘が鳴ったところを結局聞かなかった。それとも鐘はなかったのだっけ。静かなところだった。屋根裏に燭台がたくさん置いてあった。クリスマスの日にたくさんの人が手に手にろうそくの明かりを持っていた。小さく交わされるその人たちの会話、盗み聞いた他愛ない会話を、今もなんとなく覚えている。なつかしい、コンクリートに囲まれた小さな空と枇杷の木。何度忘れても、ときどき思い出すあの教会の時間。私は恋をしたんだ。
 私は信仰を話したいのではなくて、もちろんそんな話はできないのだけど。私はあの夜、これは信仰なのかしら、どうなのかしら、と思ったけれど、それは違うもので、たぶん。私は人間をあいすると思う。世界は私ひとりではないので、私ひとりではないのに、私を見る人間をあいすると思う。私は神様に感動したんじゃなくて、私は、あのときはじめて、「それが欲しい」と思った。
 あの夜の小さな衝動が喉の中をゆっくり落ちる途中でいる。私はそれとどんな風に、どの程度つながればいいかわからなくって、他人行儀に、少しぎこちないままでいる。だけど激情だよ。私のために目を開けて、触ったり、話したり、踊ったりして。磔はいいので、それはいいので、私を見なさいよ。私はそんなものを想像してきた。いくらかは叶うような気がするじゃない、もしかしたら世界は夢見る世界だから、って、夢見てる、ほんのすこし。まだ忘れないでいるよ、って言ったら、あのときの私は驚くね。怖がるね。

***

 あのひと(私の中のあのひと!)が私の血管をざあざあ流れっ放しでどうしようもない。ぱくぱく食べてぱくぱくぱくる。なぜかそういう話になってしまうのは、あのひとが血管を流れたまんまで生活をして、なにか思い出したりして、だから、それは、そうなる。どうしたものだろう。
 こんなに嬉しいことが長く続くなんてうれしい。ずっと書いていてくれたらうれしい。空気と食事で生きていけるところで、書いているのがうれしい。私は、ありがとうございますって思う。ありがとうございますって思ってる、叫んでる、じだばた、している!

***

(あのとき神父様が言ったみたいなことを、あとになって何かで読んで懐かしくなった気がするのだけど、あの本はなんだったかしら。)

(へるしんぐの十巻が本屋に無い。)
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 私とっても好きと言いたい、私とっても好きと言いたい、私とっても好きと言いたい、ファストフード店の隅っこでレタスを囓りながらケルン・コンサートを聴いていた、私とっても好きと言いたい。
好きと言って欲しかったら、好きと言ってはいけないって、私が小学校六年間で得た知識はそれだけで、結局みんな超然とした人間が好きなんだよ、わかってるわかってる。なんて処世術は、大いなる欠点を持っていたね!処世術なんて言葉だいきらい!
 だってだれが想像したんだ、とっても好きと言いたくなるなんて、そんな事態をどうして想像できたと思う。「愛されるより愛したい」なんて曲が流行っていたの、あれは小学校に入る前か。私、意味が分からなかったもの、そんなの意味が分からなかったもの。
 さよならだけが人生ならばまたくる春はなんであろうって寺山修司は言ったけど、そんなのよりみんな、勧酒が好きに決まってるんだ!井伏さんは悪人です!このさかづきを受けてくれ、どうぞなみなみつがしておくれ、はなにあらしのたとえもあるぞ、そうだよそれは美しい。そんな事を言う人間は美しいんだろう、けど。
 私とっても好きと言いたい。私とっても好きと言いたい。目の前にいる人間に私があなたのことをどれだけ愛しく大切に思うかということを半日叫び続けたい、ああ、そんな暴力は!
好きって言いたい、好きって言いたい、好きって言って欲しい人に好きって言いたい、ああ、もう、ほんとうに間違っていたな!私はほんとうにわかっていなかったな!自分の欲求なんてなにもわからないな!
私はただただ認めて欲しくて、「私もあなたと同じだよ!同じだよ!」と言いたくて、それを伝えたくて、だって私にはみんなみんな美しく見えた、それは卑屈のたまもの。いつだって私がだれかを見上げてた。与えられるのを待っていたよ。だってみんな持っていると思っていたから、世界を均すことに必死だったよ。絶対量が決まってると思ってたよ。生成されるものと思っていなかったよ。世界を均すことに必死だったよ!
 私とっても好きと言いたい、なんて、どういうことなんだ一体、ぜんたい、わからなくなっちゃった。
みんな笑ってるから言えないけど、言えなくなってしまうけど、私とっても、とっても変な気持ちで、ファストフード店の隅っこで、レタスを囓って泣いていたんだ。こんなのってあんまりだ。私の夢が消えていく。こんなのはあんまりだよ、好き、好き。
 だれかの頭を鷲掴みして壁に打ちつけて打ちつけて打ちつけてあなたを誰より愛していると言いたい!そして、あなたは死んでたって生きてたっていいんだ。
なにが愛って呼ばれてるんだろう、それはどういう認識、だれかの口からでてくる愛って言葉。これは合ってるのかしら、やっぱり落第かしら。落第かしらね。
 ほんとうのことがあってもなくても、私は選びたいだけで、私は私が選びたいものを選びたいだけで、日常の中でさりげなく実現される優しさとか、そういうものに感化されながら、なるべく行きたいところに行きたいと思って。公園の親子連れだとか、晴れた日の恋人同士だとか、道路整理の男の人とか、ピアノの練習の音とか、どうでもいい景色を恨んだりして、そうじゃなくて、もっと底の方に、なにか流れるべきなんだ、とか。誰も私に気付かず、それは私だけが私のために苦しまなければならない事だけれど、矮小さがすべての苦しみになるなんて、そんなのは生まれる前に気付くべきだったんだ。
 不幸を想定して、ずっと険しくなれるけれど、弱弱しいけど穏やかさは、空気の止まるところは、それはそれで、やっぱり存在するんだと思う。ひどく稀なようで、いつも数に入れない空間も瞬間も、存在するなら存在すると思う。
 だけどいつだって先に優しさがやって来るから、どうしても感じられない、だけど私もなにか好きと言いたくて、なにかを大切にしてみたい。か細いものを壊れないように望みたいし、壊したいものを壊したくない。誰もが尊いと言ったものの尊さに今更蹴られたりして。

(なんだか、どうしようもなくとりとめがない。なにを言っているのかわからなくなっちゃった。)

 私はなにもわからないのに、町はぐるぐる回ってるし、でもそれはあまり敵でないようで、私は存在しないんじゃなくて、溶けてしまいたいんだよ、優しい気持ちになれたら、そのまま溶けてしまいたいんだよ。そういう、まるで死んでしまうような瞬間を時々想像して、信号とか、前を歩いてる人の靴とか、駅の向こう側は公園だ、とか、そういうことをね、そういう中でね、あのね、私たまに泣きたくなるけど、感謝していると思うよ。大好きなんだと思うけど、大好きと言うものがないだけで、だから泣いちゃうんだと思うよ。悲しいんじゃなくて、飽和してるんだと思うよ、私は満たされているんだと思うよ、しあわせなんだと思うよ、しあわせなんだと思うよ。
 こういう瞬間に、わたし盲いている、きっと。幸せなことを幸せと言えるとき、私はたくさんのものを破り捨てているし、大切なものも踏みにじっている。誰かのじゃなくて私の。「弱い人間なんて大嫌い」と強く思っていた頃と、同じような気味の悪さ、足場のなさ、が変わらないんだろう。行ったり来たりしているだけで、嫌悪に帰り正しさに帰り嫌悪を求めて正しさを求めている。罪悪感を感じることが醜いんだろうという予感。すぐ嘘になるものが感情なら、これは感情だけれど、一過性のそれが裏切ったもの、が取り返しがつかなくなった時に、私はやっと何かを得たり失ったりする。
 いろんなものを汚したいがために、私はいつも一生懸命だけれど、それはあんまり私一人の問題だから、共有しない視界で、世界を汚したって、世界は結局汚れない。それは救いにならないのかなあ。

(なんだか、どうしようもなくどうしようもない。なにを言っているのかわからなくなっちゃった。生活犬の敗北宣言なの。)

 思い出せない。私にも白熱した痛みがあった、ような、いつか。だけど、また忘れて、同じところを擦って、ああそうこれこれって、繰り返す。傷つけないようにするだけだ、景観とか、環境とか、地球とか彼女。傲慢かどうかなんて、いいんだよ。いいからもう黙ろう。
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