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 昨日テレビでポンペイの特集をしていて、女性タレントが20世紀前の悲劇に涙を流していた。その番組には人々を襲った火山の噴火、火山灰の猛威、そして最後まで家族を守ろうとした父親、というような再現ドラマが挿入されていた。私は違和感を感じた。女性タレントが人や動物が亡くなった時そのままの石膏像を見て涙していた。私は違和感を感じた。
 違和感を覚えたのは、たぶん、私の中で都市ポンペイの滅亡は昔すぎて、それは教科書の中のことで、「関ヶ原の合戦」と同じだからだ。私は関ヶ原の合戦に泣かない。教科書に泣かない。関ヶ原の合戦についてのドラマが作られても、たぶん、泣かないと思う。関ヶ原の合戦やポンペイはとても昔で、とても遠い。
 だけどそれなら、20世紀の大戦だって、今実際の起こっている戦争だって、遠い。私は今起こっている戦争についての映像を見て泣くだろうか、悲痛になるだろうか、ポンペイや関ヶ原の合戦を冷静に処理する脳みそは、遠い国で起きる戦争を悲しむだろうか。たとえ時間が同じでも、私に近いわけではなく、それは教科書の中のことに変わりなく、国は世界地図にしかなく、飛行機に乗れば行けるところだなんて、納得できていない。私は遠くにいる。
 ポンペイで死んだ家畜に「かわいそうに」と言ったあの女性タレントは、現在行われている戦争のVTRを見てきっと涙するだろう。私はポンペイに泣かないしイスラエルにも泣かないんだと思う。一貫されたなにかが違うんだ。私は彼女を見て違和感を感じたけれど、それは自分に対しての違和感だったのかもしれない。私が足りないのかもしれない。
 私の生活は私の生活でしかなく、なにを見ても読んでも私の範囲は私の範囲で、私は自分の庭を耕し慈しみ、遠い戦火をときどき見やる。私には私の生活しか美しくできない。私は私の生活だけを慈しむ。圧倒的に遠い、私は遠くを見て泣かない。誰かに優しくされたら泣く。戦争の話には泣かない。
 私には想像力が足りないだろうか。20世紀、もしくは20万キロ隔たった人を想像できない私がいけないのだろうか。私は嘘になってしまうのが怖い。だから無理矢理否定しているのかもしれない。本当は泣くのかもしれない。私はなにを頑張っているんだろう、誰のためにって、私のためには違いないのだけれど。ああ、全然納得できないよ。
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案の定長くなりました。
桜井晴也 | URL | 2009-03-18-Wed 21:59 [編集]
泣くというのはたぶんなんでもかんでも自分にひきよせる行為ですね。泣くことによって、きっとあるものごとを自分に身に迫ったもの、実感として認識できるのかもしれません。痛みとおんなじで、痛くなきゃ、自分の身体がどうなっているのかすら気づかない。

「イスラエルの悲しみやポンペイの悲しみがわかる」というのは嘘だと思います。少なくとも僕にはぜんぜんわからない。ほんとは泣けばいいのかもしれない、でも泣いたらやっぱり偽善だ。
「どうでもいい」と言えばいいかもしれない。僕は実はそう言ったけど、それは偽悪すぎるかもしれないし、偽悪を通りこしてとても醜いことかもしれません。
「どうでもよくない」と言えばいいかもしれない。でも自分がほんとに「どうでもよくない」と思っているかどうか、ぜんぜん、わからない。
黙ってればいいんですね。知らないふりをして通りすぎたって、(たぶん)誰も糾弾しないんだから。どうせ自分の気持ちなんかわからないんだから。
問題は黙っていられないときにどうするかで、ぜんぜんわからないけれど…ふーむ、この先はやっぱりよくわからないのでやめます。えらそうに言えることじゃない。
>>桜井晴也さん
藤野 | URL | 2009-03-19-Thu 23:06 [編集]
> 泣くというのはたぶんなんでもかんでも自分にひきよせる行為ですね。
そうか、そうだ、そうか。桜井さんは言葉にできるのですね。すごい。

ああ、そうなんです、自分の気持ちが全然わからないです。自分の考えを否定して次に行こうとするのですが、否定したのは感情かもしれなくて、どこで立ち止まればいいのかわからない。ただ私は誰かの痛みなんてひとつもわからないです。だけどその事実にもたれすぎても、行き過ぎて嘘になるかもしれない。とにかく私は不誠実が怖いです。
私はいつも、自分がどう考えるべきか、ということを考えていて、結局世界の貧困や殺人についてなんて考えていないのです。だけど私にはどうしても自分しかないので、そんな風にしか関わろうとすることができないのです。その場所と無関係な場所にいて、しかもその人たちと無関係なことを考えています。そこから出発する以上、もうなにを口にするのも無為で高慢なような気がするのですが、だからもう黙っていようと決めればいいのですが、やはり不安になります。誰も責めないとわかっていても、自分の坐る場所を探してうろうろやります。
わからない、という地点が最後なら、私は間違いとわかっていてもいつかなにかの姿勢をとらなければならないのかもしれません。わからないが途上なら、いつまでも模索するのですけれど、それもわからない。連綿と続くわからないのせいで身動きがとれません。でもわからないことをわからないとしか言いたくないがために、やっぱり模索しようとします。
桜井晴也 | URL | 2009-03-23-Mon 07:10 [編集]
しかしあれです、あまり僕の言うことを信じないでね。
僕はうそつきで、というのは、けっきょくのところわかったふりをしているだけだからです。だからほんとはここにコメントするのも、よくないことなんだけれど。他人に何か言うふりをして自分に何か言ってるだけです。これはほんとのこと(どうやったらまともに他人に話しかけることができるのか、僕はいつもよくわかりません)。


あのー、ですね、
僕はあなたとだいたいおんなじことを言って「俺は醜い」と散々言っているから、かんたんに「あなたはそれでいいんだよ、『自分が自分が』って言ってることは醜いことじゃないんだよ」とは言えないのですけれど、すごく言いたい。
「(文章だけで判断した)この人だけはなんでもいいから幸せになってほしいランキング」を仮につくるとしたら、あなたは僕のなかで上位に食いこみます。
ぜんぜん醜くないし高慢でもないと思う。でもそんなものは言い訳かもしれない。あなたは僕からすればとてもすばらしい人だと思うけれど(僕よりもずっと感情的だろうから)、でもやっぱり僕から「それでいい」とは言えない。

どうすればいいか、
ひとつは「書きつづけること(考えつづけること)」だと思います。あとは「他人」だと思います。僕はこれができないからいろいろこまっているのですけれど、他人とどうコミットメントするか、他人にどういう影響を及ぼすかということだと思います。あなたの言ってることやあなたの僕に対する態度などに僕はいろいろ影響を受けてますけれど、でも、ほんと正直な話、僕に影響をあたえてもまったくしょうがないので、もっと良い人や信頼できる人に何か言われたりしたら、いいと思うのです。こんなものも、ものすごく勝手な話ですけれど。
>>桜井晴也さん
藤野 | URL | 2009-03-24-Tue 22:02 [編集]
私は桜井さんの中から、自分に都合のよいところを都合よく味付けして食い荒らしています。それで私はどうせなにもかも曲げてしまいますし、どうか桜井さんが私に及ぼす嘘にまで気を使わないでください。
それから、私は桜井さんが自身と対話していたって全然構わないです、私のことなんてスルーして下さればいいのです。桜井さんの文章が間近にあるのがうれしいです。

私は「私はみにくい」と言うとき全然痛くないです、私の自己否定なんてポーズです。私の葛藤はすべて、葛藤することが目的で、それがやっぱり許せない。私は醜さが肯定される、というか重宝される、場所を知って、醜くなろうとして醜くなったのです。ちがう、元々醜かったのですけど、でも私は私を汚いと言うことがしたかった。だから、あなたは醜くないなんて言ってもらえる資格ないと思うんです。ポーズを取り過ぎて、どの感情がどこに接続しているのかわからなくなっているのですが、私が許せないのも苦々しいのも、ほんとうにとてもとても、卑しいものに繋がっている気がするんです。

書くまいと思っていたことを書きます。ああ、もうばか。
私はどうしようもなく桜井さんを美しく思います。桜井さんが「死にたい」と言わないことは、私にはなにがなんでも美しく思えて、でも、そんなことを言ったら、桜井さんがもし「死にたい」と言うとき、気持ち悪さになるかもしれなくて、だから、私は全然、ぜんぜん桜井さんのことを考えないで、もうほんとう、自分のためだけに言うのですけど、どうしてもどうしても桜井さんはきれいにみえる。桜井さんのことなんて、なんにもわからないのですけど、でも言いたいからというだけで、感情だけで言うのですけど。桜井さんの正しさよりも、桜井さんの優しさや清潔さが、私にはとてもすばらしく思えるんです、馬鹿なことを言ってる、私ばかなことを言ってる。だって私が美しいなんて言葉使えるはずない。ごめんなさい、ほんとうに自分のためだけです。ああもう。ごめんなさい。

>もっと良い人や信頼できる人に何か言われたりしたら、いいと思うのです。
は、はい!
桜井晴也 | URL | 2009-03-25-Wed 01:10 [編集]
また長くなるとたいへんだからできるだけ短く。

>私は「私はみにくい」と言うとき全然痛くないです、私の自己否定なんてポーズです。私の葛藤はすべて、葛藤することが目的

僕もおんなしですよ。どうやってポーズをつけるかという問題(だけではないけど)で僕は「あたし」という一人称で文章を書いたりしている。
僕の場合は「自分の醜さを受けとめながら世界を愛そうとしている」ように見える人の文章を読んでそうなりたいと思ったしそういう文章が書きたいと思った。でもなかなかうまくいきませんでした(そう思うことじたい卑しいことかもしれないし)。今はまたちょっといろいろ考えて保留中。


きれいって(笑)
ぜんぜんそんなんじゃないよ、でもありがとう。
>>桜井晴也さん
藤野 | URL | 2009-03-25-Wed 23:00 [編集]
あんまり卑屈(というか、自意識過剰ですか)になっててもばかになっていくだけかもしれません、ね。うぐう。
わからないわからない言ってないで、私もいろいろ考えたいと思います。ありがとうございます桜井さん、いつも。

>でもなかなかうまくいきませんでした(そう思うことじたい卑しいことかもしれないし)。
卑しいことだなんて言うべきでなかったかもしれないです。卑しいとか高尚とかちがうかもしれないです。

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