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 いまや浪人生ではない先輩と、昼も夜もわからず二日だか三日だか街を転げ回って、最後に着いたところは東京の隅っこの原っぱだった。先輩が天に吠えていて東京のくせに星も見えるから「終わったな、世界」と思ったけど、私は無事に帰宅して、先輩の咆哮が空に跳ね返って真っ黒い矢が降り注ぐこともなかった。おはよう、四月。
 先輩と会うとしばらくその残滓が残るのは、先輩がすこぶる美人だからかもしれないし、先輩が私とまるきり違うものばかり集めているからかもしれない。なんだか先輩といると、私がイチゴのへたを捨てるように捨てたありとあらゆるもののなかに単純で大切なものがあって、鼻で笑ったすべての歌詞、踵で蹴ったすべてのわずらわしさの中に、単純で本当なものがある気がしてきて、私は変な気持ちになります。先輩はどうしたって刹那的に見えるし、瞬間のためにすべてを破壊するモンスタアなのであるし、どう考えたって軟派ではあるけれども、先輩はときどき以上に頑固だから、もう、あのひとはほんとう、会うたび思うけれど、わけがわからないよ。一時間後に地球が割れるのだとして、行きたいところなんてないねって言って、ところで明日は桜を見に行きたいのって言って、あのひとはふらふら、無闇に男の人たちを泣かせてるし、そのくせ自分はとっても優しいと思っているし、ぜったいそんなことないと思いますよって言うと、まあそうだよねって言うし、あのひとはモンスタアだよ。あのひとにはぜったいなにかしらが備わってないよな、と思う。たとえば先輩の嫉妬の仕方はとても特殊だと思っていて、だって瞬時にだれかにおめでとうと言えるしほんとうにそう思っているように見えるし、それでいてなんで私はこうなのさ!ああなのさ!って叫ぶし、私知ってるけど、あのひとは自分のこと大好きだし、だけど最前線でひらひら踊っているように見えるから、あんたなんなのよ、と思う。嫉妬だってなんだって、先輩の感情は外に出て行かないように見えて、ぜんぜん他人に向いていないように見えて、先輩ってぜんぜん誰かになにも向いていなくて、ねじれの関係、のようなものがカラー付きでわかりやすく示されてる気がして、騙し絵をバラバラにしたみたいな人だと思うし、それでも騙し絵は騙し絵で、いったい、ぜんたい。標本なんじゃないかと思う。あのひとを見てると、いっそ、備わっていないよな、と自分に思ったりして、備わってないってなんだよ、と笑えたりする。先輩はもしかして完全無欠なのかもしれなくて、それか、標本箱の中で翅が崩れちゃったちょうちょ。私はほんとう先輩って変だと思っていて、だって先輩ってぜんぜん人と話していないし、だけどやっぱり、どう考えても優しい気がしてくるんだよ。騙されているんだね。まったく。

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 最後に試験を受けた大学の機嫌がよかったようで、なんだか私も進学できそうで、あります。たな、ぼた。おめでとう、私。入学式がいつなのかわからないのが喫緊の問題だけれど、手続きのときに貰った封筒の、たくさんある紙のどこかにきっと書いてあると思うのだけど、なんというか、だって、紙がたくさんあって、私は指を切っちゃいそうで、怖くて、触れないのです。四月というのは、わかってるんだ。思えば、中学の入学式は風邪で行けなかったのだし、高校の入学式は寝坊して、式が終わったあと教室に紛れ込んだのだし、もう、私は入学式というものに出れる気が、ぜんぜん、しないよ。

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 国立新美術館でルノワール展を観てきた。ハチミツに砂糖をいれたみたいに甘くって、胃がもたれそうなくらい甘くって、とても楽しかった。クロード・ルノワールの肖像のあの耳はなんなのだ。千切って持って帰りたいくらい柔らかい耳。耳。あと、左から光を受けた花瓶と花の大きな絵、が、こう、午後っぽいし、こう、庭にみんなが集まっておしゃべりしてる声がして、でも自分は玄関に迷って入ってきちゃって、という花瓶、つまり幸せだということで、かなしいということで、あの絵が好きでした。あとモネの肖像がかっこよかった。新聞がやあらかそうだった。モネかっこいい。エッソワもカーニュも、なんとゆう日の当たり方のする街だろう。写真でなくて、絵だから、つまり、あれは現実より一歩も二歩も、ルノワールに近くって、それで、私は「印象派ってなんのこと?」って常々思っているけども、印象派がつまり現実をルノワールに一歩も二歩も近付けた後に、三歩目も踏み出しちゃって、それでその絵を「エッソワの風景」って題名で発表していいということ、だとして、そういうことができるようになりましたって言われたときに、あんなに蜂蜜っぽいものを描いたルノワールという人は、いったいどうしたちゃった人なのよ、と思う。どうしてそんなものばかり描いてんのよ、と思う。人間存在に対する求愛かよ、と思う。なんだよ、ルノワールがいたんだから、もういいんじゃないかと思った。あの、楽しかった。ルノワールの友達とユトリロのお母さんが踊っている絵、の男の人のほうの手の甲がとっても綺麗で噛みつきたくなった、よ。もうすぐユトリロ展がはじまるらしい、よ。ユト!リロ!
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