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文章
マザーレス・チャイルド
2009-02-28-Sat トラックバック : 0  コメント : 4
 いつの頃からか「死にたい」と言うのが口癖になってしまって、お風呂上がりに「死にたい」電気を消して「死にたい」電車の中で「死にたい」、と、ひどい具合だった。
私が中学生だった頃のある春、あまり会ったことはなかったけれど伯母が交通事故で亡くなって、その葬儀の厳粛さに触れ、私は私の口癖の縁起の悪さに気付いた。しかし一度ついた癖は容易にはなくならず、私の口からするすると「死にたい」は流れ続け、仕方がないので「死にたい」と言ったあとに私は毎度「死にたくない」と付け足すことにした。相殺を試みたのだった。「生きたい」という発想はそのとき浮かばなかった。
「死にたい、死にたくない」と口癖にしては妙に長くなってしまったそれは、人前でうっかり言ってしまうとぎょっとされるので、私は気をつけていたけれど、やはりある日電車の中で「死にたい、死にたくない」。その声はごく小さいはずだったけれど、そのとき目の前に立っていた品の良い初老の女性には聞こえてしまったらしく、彼女は咄嗟にこちらを振り向きかかった、が、すぐにやめて前に向きなおった。
 ある日、家猫を見ていて私は猫になりたいと感じたが、それは猫は人間になりたいと思わないだろうと考えたからだった。「猫になりたい」という口癖はなかなか可愛いように思えたので、どうにか定着するよう努めたが、それは無駄な努力に終わってしまった。私は相変わらず猫を撫でながら「死にたい、死にたくない」と呟いた。しかし猫は私を振り返ったりしない。
私は「死にたい」と言うことになんの苦痛もネガティブも感じていなかったけれど、「死にたくない」と続けるときには、無性に情けなくなるのだった。「死にたくない」と言うとき私は何に怯えているのだろう、前言撤回が行使されずに誰かが私を殺しに来るのを恐れるのか、もしくは死にたくないという表明はすべての生の理不尽を無条件に甘受する宣誓であるような気がするからだろうか。私は誓いたくなかった、「死にたい」も「死にたくない」も誰にも約束したくなかった。

 私の口癖は私の肉体的成長に伴ってその頻度を増したけれど、それは徐々に空疎になっていくようだった。このまま「死にたい、死にたくない」は空気のように軽くなり、私の周りをしっかりと取り巻き、私はその中で生き、その言葉を口にする意義を失えばいいと思った。「死にたい、死にたくない」を口にすることは不自然なことなのだ。それは空気中に飛散する粒子となって私を中心に高速でまわるべきものなのだ、と思った。
口癖はなおらないまま、私は勉強をして恋をして電車を乗り継いで学校に通った。私は自分がなにかの中間点に立たされていて、1時間ごとに重心を変えているように感じた。見えない手が私をどちらかに倒してくれるのを無意識に欲し、私は映画を観て音楽を聴き見知らぬ街を探索した。
しかし「死にたい、死にたくない」は相変わらず続いた。それは私を猶予し、責め、庇護した。それは私を守る親のようで、浅はかな子のようでもあった。私が産まれたのか私が産んだのかもわからなかったし、私とその口癖は同一のものなのか異なる二つのものなのかも分からなかった。
私はこの大仰な口癖を愛し、嫌悪した。それが自分のどの感情を通って口から出るのかわからなかった。インターネットで「死にたい」と書き散らす人間を見つけたので、何も考えずに「私も死にたい」と書き込んだ。「一緒に死のう」とその名も知らぬ人間は言ったが、私は「死にたくない」と書き込んだ。その人間は私を臆病者、と罵った。私はずっと臆病を続けているのだろうか、と考えたが、実感はわかなかった。私は事実ここに生きているのであるから、「生」と「死」の間にいるわけはなく、生に倒れこんでいるわけだが、相変わらず私は「死にたい」と「死にたくない」の境界線に立ち続け、困惑し続けた。

 例年と変わらぬある夏の午後、愛しい猫が死んだ。
 五歳のときから飼っていた猫であった。鈴をつけたその首輪は私の手作りで、私は猫だけをほんとうに愛し猫に愛されることだけを望み続けていた。私は「死にたい」と連呼したが、それは意識したわけではなく自然と口から滑るのであった。
しかし私は死ななかった。死にたいとも思わなかった。私は「死にたくない」の側に倒れ込みながら「死にたい」と口にすることが可能だと知った。恐らくその逆も可能なのだろうと考えた。私は一挙になにもかも放り投げてしまった。
境界線はなく、そこは無地の平面であり、私は右足と左足を交互に出しているだけであった。私は猫の寝床だった毛布を抱き締め、更なる不安定を得、庇護を永遠に失いながら、初めて死というものに涙を流した。私はひとりで立っていた。そこには予想していたなにものもなく、口癖もなく、猫の匂いのする毛布だけがあった。
 五歳のときから飼っていた猫なのだった。私の足下にうずくまる、彼女はきっと私の最後の庇護者なのだった。
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はじめまして
桜井晴也 | URL | 2009-03-01-Sun 18:15 [編集]
こんにちは。
ずっと前にこのブログをリンクに(勝手に)くわえてしまって挨拶しようかと思いながら長い長い時間が経ちました。

僕はとりわけネットという空間が好きなわけではなく、だから他人のブログなんてものもまともに読む気もそんなにあるわけではないけれど、たまにこういうブログを見つけると「うーん」となります。

お気に入りのブログが閉鎖したり全記事削除したり、ということに何度か立ち会ってきました。それはとても悲しいことです。

「書いてもいいんだよ」と僕は思います。書けたり、書けなかったり、書きたかったり、書きたくなかったり、したりすると思いますが、「書いてもいいんだ」と僕は思います。それはしかし僕の問題であって、僕は僕の問題を提示しあなたに余計なことを言っているだけです。はじめての人になんて言ったらいいのか、僕にはいつもよくわからないのです。

長文失礼しました。
「あなたの文章はとてもすばらしいと思う」と言いたかっただけです。ありがとう。
Re: はじめまして
藤野 | URL | 2009-03-02-Mon 19:46 [編集]
え、ええと、私すごく、私テンパっているのですけれど、桜井さん、えっと、初めましてじゃないんです、あの、mixiでお世話になっています、あの、最近加山又造展に行った、って言ったら、もしかして、分かって頂けるかも、しれないんですけど、あの…。
現代詩フォーラムで詩を読んで下さったようで、そのときに、言った方が良いのかもしれないと思ったのですが、なんと言えばいいのかわからず、そのままにしたのですけど、まさか日記まで読んで下さっているとは、思わなくて、その、言えば良かったんです。文章について、すばらしいだなんて言って頂いて、うれしいです。ああ、テンパっているんです。桜井さんの文章が好きすぎて、桜井さんとまともに話せる気が全然しないのです・・・。

桜井さんの文章の、ある種の側面に私はすごく救われたと思います。
私は書けないけれど、それでも書いてもいいのかもしれないと思ったのです。伝えたいことがなくても伝えようとしてもいいのかもしれないと思ったのです。感じられない人間が、感じられないままで、表現する側にいようとしても、いいのかもしれないと思ったのです。あちら側に行けないからと言って全部あきらめなくてもいいと思ったんです。だめなら全部だめじゃないと思ったんです。私は本当、救われる思いだったのです。
とても的外れなのかもしれませんけど、その、ただ漠然と私がそう感じただけなのですけれど、勝手なのですけれど、とてもお礼を言わなければいけないです。桜井さんはほんとうに作家になるべきだと思います。ありがとうございます桜井さん。こんなところで長々とすいません。
桜井晴也 | URL | 2009-03-03-Tue 00:05 [編集]
ああ、そうか、ごめんなさい。ほんとにぜんぜん気づかなかった。mixiで、僕はあなたのことをずっと年上だと思っていました。あと正直に言ったほうがいいかと思うので言いますけれど、僕はあなたがぜんぜん詩を書くような人だとは思わなかった。もっと実際的な人だと思っていました。なんでだろう。

あと僕はあなたの文章を読んで加山又造展に行ったのです。

僕はあなたのお返事の文章を読んで泣きました。嘘です。でも泣いたと思っておいてください。僕は何を読んでも何を見てもほんとには泣かないので。

最近はわりと愉快な気持ちになることが多くてうれしいです。それはとてもちいさなことだけれど、たとえばあなたのような人がいるからです。

今テンションが高いのでテンションが高いことを書きます。

世界はあんがいよくなります。自分がいかに屑であろうといかに醜かろうと、たぶん、世界は「世界を愛そうとした瞬間」に美しくなります。でも僕は世界を愛する方法を知らなかったし、愛そうともしなかった。それが何より難しいと思って愕然とした。でも最近はちょっと違う、ような気がします。まあ、でもそれはよくわかりません。ぜんぜん、わかりません。

ふむ、いろいろ不思議なことがあるものです。何故こんな文章を書ける人が僕なんかの文章を好きと言ってくれるのかが、いちばん不思議ですが。

ありがとう。
Re:桜井晴也さん
藤野 | URL | 2009-03-03-Tue 17:55 [編集]
それは、その、私は初対面の人にはたらきかけるのが決定的に下手なのです…。
不器用なためにぎこちないのです。私の詩や、なにかを、良いと言って下さった人に、「それは私です」と言うことはできても、「これは私の詩です」と人に言えないのです。他の人と自分の柔らかいところをくっつけられないのです。情けないです。

そうだったのですか。それじゃあ、私たちは二人で月光波濤、月光波濤と言いあっていたのですね。

私は本当に泣いてしまいました。私はよく泣きますし、そんなこと言われたら泣いてしまうのです。
悔しいからずっと嫌いと言っていることがたくさんあるんです。もうずいぶんあるんです。
けど到底歯がたたないと思っていて、けど甘えても断られるに決まっていると思うと嫉妬して、こうするしかなくて、でも本当は好きでしょうがないのでそんなのは嫌なんです。でもそれが敵じゃないなら世界はほんとうに全然別のものです。私が醜悪でも、世界がそうなら、それなら、私は息ができます。だけど、でも、よくわからないです、私はなにもわからないです。どうすればいいかわかりませんし、どうなっているのかわからなくて、嬉しいのか不安なのかもわからないです。でもそうやって言って下さるなら、私は世界を愛そうとする瞬間を信じます。やっぱりうれしいんです。うれしいです。

こんなところに引き止めてすみませんでした。
こちらこそありがとうございます。もうほんとうに。

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