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日記
落ちていく首の速度でいた
2010-07-26-Mon トラックバック : 0  コメント : 0
 ありとあらゆる手続きを中途半端にほっぽりだしていたらありとあらゆるところから電話や郵便がきて、印鑑証明書や署名や振込みや窓口までお越しくださいや折り返しご連絡くださいを求めてくるので私は頭が腫れてしまうよ!こんなにちやほやされたのは、生まれて以来だ!う、あ、しっかりしよう。ちゃんと、東西南北、片付けて、歯を磨いて、寝よう。

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 最近いちばん観に行ってよかったものはなんといってもシャガール展で、だって想像以上の大きさで想像以上にきれいだったからだいすきだいすきと思った。最初のほうにあった目のところがぴんくに塗られた『父』って絵を見てたら笑えてきちゃって喉のところがくひーってなった。『ロシアとロバとその他のものに』も『イカルスの墜落』も『日曜日』もきれいできれいすぎたのでなんだよなんだよと思った。
 それで今日は国立西洋美術館にカポディモンテ美術館展を見に行ったのだけど、イタリア美術はやっぱり宗教画が多くて、楽しかったけれど、なんで宗教画ってこんなにも宗教画なんだろってずっと思ってた。乳房を切り取られそうになってる女の子の絵と、女の人に首をぐいぐい切られてる男のひとの絵があって、それはびっくりするほど大きく描かれていて、びっくりするほど宗教画だった。こういったものがこんなに大きく描かれて、それで聖なるとしてどこかに置かれたりする、ことがあるのかと、思った。そこになんの違和感も無い絵だったので、つまりどういうことだろうと思った。首を切ってる絵が神聖でもべつにそれはいいのだけれど、だけどどうして宗教画のなかでひとはこんなにうつくしく首を切るんだろう。宗教画のなかにいるひとの動きはひどく緩慢に見えて、なにかぜんぶがひどく鈍く見える。光がいつもだれかを目指している。乳房を切り取られる寸前の絵を見てああ宗教画だと思う私は、光バカだから、宗教の光が照れば、それで納得してしまうんだろう。先に進むと、首を切り落とされた男の人の絵があった。首の切り口がこっちを向いていた。「だから、あの、だから」と思った。すべてを耐えさせるその強度はいったいどこからくるんだよと思った。湿度のなかで首はいつもゆっくりと切られていて、それだから私はそれを特別に興味も持たずに眺めていられた。首の切り口をなんという感慨もなくぼおっと見ていられた。宗教って、すくなくとも17世紀の宗教って、遅さのことなんじゃないかと思った。シャガールの絵で首が飛んでいた、あの絵のあの速さをおもった。私はその速度をわりあい情熱的に好きだった。宗教がもしシャガールみたいだったら私は熱狂的に恋しちゃうんじゃないかと思う。宗教がシャガールじゃなくてよかった。シャガールが宗教じゃなくてよかった。なんの祈りもなく愛してる。

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 男の人の首を切ってた女の子はユディトさんで、ユディトさんで調べていたらカラヴァッジョが描いたユディトさんの絵の写真がでてきて、それは今日行った展覧会にはなかったのだけど、首を切ってるユディトさんの心底嫌そうな顔があんまりかわいいからびっくりした。ユディトさん!

「ホロフェルネスの首を斬るユディト」


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