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日記
ペルペトゥウムモビレの視る夢
2009-11-28-Sat トラックバック : 0  コメント : 0
 「ピアノが弾けたらなあ」と男の人がぼやいていた。私も、ピアノが弾けたらなあ、と思った。だれかと話がしたいために、すること、ばっかり、だ。ピアノを習うのって、とっても、だれかに遠回りで、「窓を開けてよ」なんて、言えないし、「鍵をかけてよ」とも、言えないし、だから必死にピアノを弾き続けたって、だれも窓を開けたり鍵を閉めたりしてくれないし、ああ、ピアノが弾けたらなあ。
わたしはまなざしになりたかった。
うるさい道路の前で小さく口を噤んでいようとおもった。私はきれいになりたかった。電線を視線で切ろうとしていた。いつも電線をまばたきでぱちんぱちんと切ろうとして、切れたことなんて一度もなかった。口や指がなくても良かった。内臓だけで良かった。視線だけでよかった。
ひとに優しくしたかった。ひとに優しくするというのは、つまり、あのポストのように、コンクリートに足を溶かして、黙ってだれかを、待ったりすることかと、駅のホームのイスの、あっち側で泣いている女の子から、離れて座って、ホームを見つめ続けることかと、ひとに優しくしたいからという理由なんかで、ひとに話しかけないことかと、おもって、
おたんこなす。
 いつもしゃべることがなかった。くだらないことばかり出てくるので私は私の唇なんかだいきらいだった。私はいつでも私を過信しているから、いつだって、口をついて出る言葉を許せない。
ほんとうは、私にほんとうのことなんてないのだけど、ほんとうは、今思えば、言いたかったことや、話したかったひとが、たくさんあるよと思って、向かいのマンションが夜に沈んでいるよおと思って、なんだ、私が話したいことなんて、いつだって、そんなこと。振り返っても言いたかった言葉なんてやっぱり見つからない。私はいつも私にだけほほえみ、私の視線は私の輪郭を撫でて、それでなんかよくわかんないんだけど電線を伝ったり魔法だったりで誰かを見つめられたらいい。一秒とか、一曲終わるまでとか、そんなのでもいい。
魔法なんかないので、私はほんとうにおしゃべりになってしまったのですが、それはピアノが弾けないせいだと思うのです。ピアノが弾けないせいで、私はいつも泣きそうになりながらぺちゃくちゃうるさく、してるよ、殴られたって、羞恥心に、殴られたって、私がどんなに、はれんちだって、いいよ。こんなのはおもうよりずっと怖いことだとときどき気づく。お互い口を開いて話すことは、絶望的に、つながらないことの確認みたい。おはようございます。おはよう。冬曇の夜だね。明日もきっと寒いんだろうね。天気のはなしをあなたからききたいと思う。

***

 わたしは頭の中でピアノを抽象化している気がするのだけど、りひてるのピアノを見ると私いつもピアノこわいよと思って正気にかえる。

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