スポンサー広告
スポンサーサイト
-----------
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
page top
 小学生のとき一番仲の良かった女の子はクリスチャンだった。彼女にくっついて日曜によく教会に顔を出していた。私はあまり神様に興味がなかったから、いつも主の祈りのあとに抜け出して教会を探険していた。その仲の良かった女の子は小学三年生のときに転校してしまって、それ以来会っていない。読書が好きな子だった。もう、よく覚えていない。
 教会の前には、コンクリートの壁に囲まれた小さな庭があった。琵琶のなる木があった。空が狭かった。神父様が、「イエス様は世界にあなたひとりしかいなくても、あなたひとりのために磔刑になったでしょう」と言ったのだけ、今でもよく覚えている。そのとき初めて、「いえす様、あなた」と思った。それは神様に対しての感情じゃなかったと思う。感謝とか、信仰では、なかったと思う。その日の夜、ベッドの上で丸まって想像していた。私ひとりが立つ地平面で、私ひとりの罪のため、私ひとりのいのちのために自ら(だって私のほかに誰もいないから)十字架にのぼるイエス様を想像していた。きっとその目が私を見るだろう。私しかいないから。そして私はキリストを見る。私は、そんな想像をして丸くなりながら、そのとき、泣こうと思った。泣けなかったけれど。泣こうと思った。(今ならあんな夢を見た朝は泣けるかもしれない。もしかして。)
 世界は私一人でないので、私はあの子が転校してから教会に行っていない。だけどあの教会はまだあるみたいだ。道路を挟んですぐのところにパチンコ屋が建ったと聞いた。うるさくなっただろうか、と思う。あの教会の鐘が鳴ったところを結局聞かなかった。それとも鐘はなかったのだっけ。静かなところだった。屋根裏に燭台がたくさん置いてあった。クリスマスの日にたくさんの人が手に手にろうそくの明かりを持っていた。小さく交わされるその人たちの会話、盗み聞いた他愛ない会話を、今もなんとなく覚えている。なつかしい、コンクリートに囲まれた小さな空と枇杷の木。何度忘れても、ときどき思い出すあの教会の時間。私は恋をしたんだ。
 私は信仰を話したいのではなくて、もちろんそんな話はできないのだけど。私はあの夜、これは信仰なのかしら、どうなのかしら、と思ったけれど、それは違うもので、たぶん。私は人間をあいすると思う。世界は私ひとりではないので、私ひとりではないのに、私を見る人間をあいすると思う。私は神様に感動したんじゃなくて、私は、あのときはじめて、「それが欲しい」と思った。
 あの夜の小さな衝動が喉の中をゆっくり落ちる途中でいる。私はそれとどんな風に、どの程度つながればいいかわからなくって、他人行儀に、少しぎこちないままでいる。だけど激情だよ。私のために目を開けて、触ったり、話したり、踊ったりして。磔はいいので、それはいいので、私を見なさいよ。私はそんなものを想像してきた。いくらかは叶うような気がするじゃない、もしかしたら世界は夢見る世界だから、って、夢見てる、ほんのすこし。まだ忘れないでいるよ、って言ったら、あのときの私は驚くね。怖がるね。

***

 あのひと(私の中のあのひと!)が私の血管をざあざあ流れっ放しでどうしようもない。ぱくぱく食べてぱくぱくぱくる。なぜかそういう話になってしまうのは、あのひとが血管を流れたまんまで生活をして、なにか思い出したりして、だから、それは、そうなる。どうしたものだろう。
 こんなに嬉しいことが長く続くなんてうれしい。ずっと書いていてくれたらうれしい。空気と食事で生きていけるところで、書いているのがうれしい。私は、ありがとうございますって思う。ありがとうございますって思ってる、叫んでる、じだばた、している!

***

(あのとき神父様が言ったみたいなことを、あとになって何かで読んで懐かしくなった気がするのだけど、あの本はなんだったかしら。)

(へるしんぐの十巻が本屋に無い。)
スポンサーサイト
page top
Copyright © 2017 八帖帳の犬. all rights reserved.

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。