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 寺山修司の映画を二日連続で観にいったら体力を全部持っていかれて、一緒に観に行った人とのその後の予定も断って這いつくばってお家に帰る。一緒に行った人は、「あれ観て平気な顔していられる人っているのかな」って別れ際に言って、私その瞬間に、ああ、わたし無傷、って気付いて、背筋が伸びました。
(頭の上で耳をぴょんぴょんさせて、ウサギしていた、あの仕草、なんてこと。)

***

 「自分のことをもっと知ってほしい」という願望を、私に対して抱いてほしい、という願望。
私はあなたのことをわかろうとしてあげる、たくさんわかろうとしてあげる、なんて、簡単すぎる気がして、しかしそれさえ私はうまくできないのだけど、だからあまり言葉を費やせないのだけど、やっぱり、あなたに私のことを知ってほしいよ、聞いてほしいよ、という乱暴さ、切実さ、のほうがとても真面目な気がする。
だけどはたらきかけに対しての受容があることは素敵で、「君を理解したいよ」と言う必要はあるはずだけれど、でも何千年も前から、みんなみんな「理解っていうのは完全じゃなくてね」なんて訳知り顔で言っていて、その公式はもうみんな知っていて、彼女は知っている、ということを知っている、という状況での、「君を理解したいよ」の狡さ、許してもらうことを前提にした誠実さ、はどうだろう。それよりも、「私のことをあなたに知ってほしい、あなただけにはぜんぶぜんぶ知ってほしい」という原始的な、奔放さは、とても強大だと、思うことがある。
 私はたぶんあまりどちらもうまくなくて、理解したいと思うことも、理解されたいと思うことも、あまり上手な自信がなくて、だけど誰かと比べたわけではないから、割と人並みなのかもしれないのだけど。ただ、ずっと、私に理解を望んでほしい、という望みだけある。それだけはたぶんズレていて、それは、「早くディナーの準備をしておくれ」みたいなことで、なんだか高慢ちきもいいところ。
草になりたいと思ったけど人間は草なんか大体の場合愛さないし、そういう子供っぽさは灰になればいいよね。

***

 終電逃したからね、家に泊めてよ、と電話がきた。私の家の最寄駅で終電を逃す事態なんてそうそう起こるはずがなく、なぜなら私の家の周りにはなにもないからだけど、だからたぶんわざとなはずで、そんなこと考えなくても電話の声が震えまくっていたので、どこにも帰れなくなったのがわかりやすく、緊急事態がはじまっていた。
だけど私、家に誰かをいれるのが好きじゃないので、とかそういう冷たいことを平気で思う人間なので、パーカーを着て、一応相手の防寒のためにパーカーをもう一枚持って駅まで迎えに行って、その人パーカーを着ていて、ああもうパーカーの馬鹿野郎、と思って、そのまま朝までなんとなく一緒に歩いた。余分なパーカーを引き摺って、ふらふら6駅くらい歩いたと思う。
 明るくなって公園で、コンビニで買ったパンを食べていたら、その人はベンチで勝手に眠ってしまって、私は砂場で山をつくっていたけど、子供がやってきたので逃げて、ああ昼時か、と気付いて、ベンチの奴を起こして、だけど「帰るよ」と言えなくて、そうしたら相手が「帰ろう」と言った。

 私はどうも、なにに対しても体力がなく、勇気もなく、総じて無力で、誰かに何かしてあげられればいいのだけど、誰かに何か言ってあげられればいいのだけど、せめて電話してきた相手にくらいは、ということに久しぶりに強く憧れたりした。いつでも誰かが言えない私の代わりに言ってくれる。どうも、私はそうみたいだ。
家までひとりで帰るとき、あまりの眠さに視界が白くて、なんだかとっても情けなくなったり、ならなかったり、道端で眠ってしまいたい気がしたけど、私は酔っぱらいと知られちゃいけない、未成年。
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